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がん診療にAI活用 スイスで産学医が総力挙げ開発

医療におけるAIと機械学習
デジタルパソロジーの分野では、特定の治療法の有効性を予測するAIに大きな期待が寄せられている。 Keystone / Anthony Anex

医療への人工知能(AI)の応用に期待が高まっているが、スイスのがん患者がAIに接する機会はほとんどない。しかし、大学、病院、民間企業が連携してがん診療用のAIツールを開発し、現状を変える試みも始まっている。

スイス連邦政府のイノベーション促進機関イノスイス(InnoSuisse)は9月、医療向けの人工知能(AI)を開発する旗艦事業4件を採択したと発表した。その1つに選ばれたのが、連邦工科大学のローザンヌ校(EPFL)とチューリヒ校(ETHZ)が主導する「国家AIプレシジョン・オンコロジー(精密腫瘍医療)イニシアチブ(NAIPO)」だ。実施期間は4年。この2校の他、ジュネーブ大学(UNIGE)を含む学術機関10組織、ジュネーブ大学病院(HUG)などの医療機関11組織、製薬大手ロシュなどの民間企業・財団10組織が協力している。

NAIPOでは、患者記録や診断所見のデータベースを構築し、大規模言語モデル(LLM)での分析を可能にすることや、放射線治療や病理診断といった臨床分野にAIを普及させることを目指す。資金面ではイノスイスが825万フラン(約16億円)、協力組織が計1000万フランの拠出を決めており、国内で実施中のがん研究では最大級の予算に恵まれている。

NAIPOの調整役を務めるジュネーブ大病院のオリビエ・ミシュラン腫瘍科長は「患者がAIの発展の成果を余さず受けられるよう後押しし、精密腫瘍治療を向上させることが目的だ。腫瘍医療では常にそうだが、患者の生存率を引き上げ、あらゆる尺度で治療の恩恵を高めることを最終目標としている」と語る。

開発の流れ

プレシジョン・オンコロジーとは、腫瘍となった細胞の遺伝子配列や分子構造を調べることで、個々の患者に合わせ、的を絞って行うがん治療を指す。NAIPOはこれをAIで補強しようという試みで、共有のデータ保管庫を整備し、情報提供に同意した患者の医療記録や医師の所見などを集約することが第1段階となる。そこから大規模言語モデルを開発して情報を抽出、収集、共有し、適切な治療体制づくりに役立てる計画だ。

また、臨床実務で使うAIツールの構築にも重点を置く。放射線治療や病理診断ではもともと遺伝情報や生体組織の顕微鏡画像を含む複雑なデータセットを扱っており、こうした分野での活用を特に見込んでいる。これらと並行し、AIによって今はまだ不可能な精密さ、深さで腫瘍を分析する方法も探っていく。

一連の取り組みで収集した情報は、スイスの分子腫瘍委員会に集約される。腫瘍委員会は専門医ががんの症例について議論したり、診断や治療法について意見を交わしたりする場所だ。病院ごとに設置される地域委員会と全国委員会があり、全国委員会では年間5万件を超える国内症例のうち最も難解なものが取り上げられる。

NAIPOの最終目標は、患者と直接の接点を持つことだ。専用のモバイルアプリを通じて患者自身が能動的に情報を取得し、診療の一部始終に主体的に関与できるようにすることを視野に入れている。

NAIPOの土台には「スイス・プレシジョン・オンコロジー(SPO)」がある。これは最先端のデータ収集法で国の臨床研究データ保管庫の不備を埋め、分子腫瘍委員会に活用させる取り組みだ。2018年に始動し、2022年に拡大した連邦事業「スイス・パーソナライズド・ヘルス(個別化医療)ネットワーク(SPHN)」の一環でもある。SPOにも協力組織が多数参加し、同じ組織がNAIPOにも携わっている。

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他のAI導入の取り組み

AIを臨床に導入する試みは、NAIPOが初めてではない。たとえばチューリヒ大学病院は今月、AI腫瘍委員会外部リンクを新設した。

また、腫瘍医療の分野では2000年代以降、がん細胞のDNAを解析する「次世代シーケンシング(NGS)」という技術が発展しており、これがAI活用の取り組みをけん引している。この技術の進歩によって精密な情報が生成されるようになり、高度なコンピューター解析が必要となった。チューリヒ大病院腫瘍・血液科のアンドレアス・ヴィッキ副科長は、スイスではすべての大学病院が10年ほど前に次世代シーケンシングを導入し、かつてない規模のデータを扱うようになったと語っている。

がん細胞にはDNA変異が見られるものが多い。このため、どのような変異が起こったのかを特定しなければ、がんを分類し、適切な指針に沿った治療ができないこともある。AI腫瘍委員会もNAIPOと同様、AIによって他の方法では見落とす恐れのある規則性や特徴、傾向を見いだし、医師に情報を提供することを目指している。

ヴィッキ氏によると、患者がおおむね標準的な状態にある場合、同等の効果が見込める選択肢を検討し、治療法を決める際にAIを活用できる。また、試験段階にある治療法への移行を患者に勧める際にも、AIが役立つ可能性がある。ほかにも、共有されているデータの中に特徴の似た患者がいる場合、症状などを比較しながら治療計画を立て、提案する、といった使い方もできる。

デジタル病理診断へのAI導入

AIへの期待はデジタル病理診断の分野でも高まっている。次世代シーケンシングと同様、デジタル病理診断も生体組織検査から始まるが、目のつけどころが違う。次世代シーケンシングはがん細胞内の遺伝子変異を見つけるためDNAに着目するが、デジタル病理診断が目を向けるのは生体組織そのものだ。顕微鏡での観察像をデジタル画像に変換し、細胞の並び方や見え方に注目する。また、特殊な染色液を使い、特定の部分の染まり具合を調べることもある。これらを組み合わせれば、腫瘍の全容に内部(細胞)と外部(組織構造)の両方から迫ることができる。

ジュネーブ大病院のミシュラン氏の研究チームは、個々の治療法の有効性を患者ごとに予測するAIを開発している。たとえば、免疫療法が効く可能性は非常に低いとアルゴリズムが予測した患者では、医師が免疫療法の優先順位を引き下げて別の治療法を探るかもしれない。同氏は「特定の患者をどう治療するか多面的に判断する仕組みにおいて、(AIによる効果予測が)検討項目に加わる」と説明している。

このアルゴリズムの開発では患者約100人のデータを使った訓練が終わり、現在は約500件の症例を使った遡及的評価が行われている。すでに治療を終えた患者の実例を分析し、AIが示した治療法や予後を現実と比べることで、予測の正確性と信頼性を確認するわけだ。

製薬大手ロシュは主要な民間協力先としてNAIPOに参加するだけでなく、チューリヒ大病院とも連携している。また、がんの病理診断を支援するAIツール群の開発でも実績がある。たとえばブラジルでは、同社のAIシステムによって乳がんの診断所要時間が1時間から30秒に短縮された。スペインでの調査でも、生体組織の検体が研究室に届いてから患者に最終的な診断が伝えられるまでの時間をAIで短縮できるとの結果が出た。所要日数は従来の平均10日半に対し、デジタル病理診断では7日を切ったという。病理医にかかる業務負荷は約3割、繁忙期に限れば5割余り軽減されていた。

がん診療AIはスイス国外でも関心の的

腫瘍医療でのAI活用にはスイス国外でもかなりの関心が寄せられている。欧州の腫瘍医の過半が登録し、会員数3万人を超える欧州臨床腫瘍学会(ESMO)は11月、ベルリンでAI活用に特化した会議を開いた。

会議には、当初予想の150人を大きく超える1150人が参加した。フローニンゲン大学医療センター(UMCG、オランダ)の臨床腫瘍医で会議運営者のルドルフ・フェアマン氏は「会議の準備に取りかかった段階で、AI活用に熱い視線が注がれていることがわかった」と語る。

NAIPOはタイミングが悪く今年の同会議の議題には上らなかった。だがジュネーブ大病院のミシュラン氏は「来年の会議で間違いなく結果を発表する」と意気込む。

AIはまだ腫瘍医療の現場に普及していないが、状況は急速に変化している。研究者らは、NAIPOがスイス内外で治療効果向上の新たな一歩になることを期待している。

編集:Gabe Bullard/ds、英語からの翻訳:高取芳彦、校正:ムートゥ朋子

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